雑を美学

縄の教室や勉強会、講座、講義。
ツイッターを使うまで大学のように縄を「習う」風習があるもんだとは思っていなかった。
SMの本やサイトを見て、「わぁこの縛り方はなんといやらしい」とか「ここに縄が通ってれば女性の敏感なとこに当たるな」とか、
あとは見よう見まねで。
吊りや、激しい姿勢になる縛り方は確かに習ったほうが早いとは思う。
釣り(フィッシングのほう)や登山ロープの絶対に外れない縛り方を勉強してあとは体に負担がかかる縄はどこか試して、
少しでも自信がない縄の通りをしたらすぐやめる。
習わずとも、この試行錯誤が楽しい。
そしてその結果、目の前で女性がとてもいやらしい姿で甘い声をあげるのは何よりも頑張ったご褒美である。
SMのとらえ方は人それぞれではあるが、だいたいの最終目的地は「快感を得る」ことだから、
勉学の重要性はそこまで高くない気はする。なにも難しい縄でなくてもあらかじめ体に沿って作られたボンテージや、ラッピングテープでも「快感から身をよじって逃げ出す」ことを封じる=「快感を100%そのまま受け止めなければならない」シチュエーションは作れる。
人間にとって「人間である」ことの要素は『手が使える』ということだと思う。
縄で後ろ手、鉄砲、合掌、様々な方法でまずは手を塞いで逃げられなくする。
ラッピングでも、手を塞いでしまうだけであっという間に犬と同じ、ドアすら開けられなくなってしまう。
首輪をつけて、リードを引っ張ったら。あとはついでにボールギャグで言葉を奪ったら。
あっという間に、お尻の穴を全て晒して、快感をヨダレで表現するだけの犬になる。
雑にラッピングして、雑に高いテーブルの上に乗せられただけで、どこにも逃げられないご主人様のオモチャになる。